ライフチェンジヒーリング ~バランス~

マイストーリー

なかなかちゃんと話すことが無かった
私のたどってきた道を言葉で残そうと思います

 

最近のではなく昔の話
私が構成される過程の話がメインです

 

幼少期

母に抱かれた記憶がない

昭和50年に3つ上の兄の下に生まれた私
産まれる1年前に大阪から京都に越してきた両親
自営業を営み始めで多忙な状態が続いていました

 

母に抱かれている記憶がないんです。
抱っこしてもらってたとおもんだけどね、赤ん坊の時は。
記憶がある2歳くらいからは、抱っこしてくれるのは父親。

 

褒められたことが無い母は
子供をどう扱い接すればいいのかわからなかったみたい。

 

実家とは遠く離れ
初めて住む場所で頼る人もおらず
はじめたばかりの仕事に必死だったはず

 

平日も週末も忙しかった父と遊べる時間は短く
抱っこされたのもたまにだったんじゃないかな。

 

父が休みの時は公園に連れて行ってもらったり
お正月には旅行に連れて行ってもらったり
両親なりに子供へ気遣ってたんだと思う
今だから、そう言えるけど。

 

私はいつもミシンを踏む母の横顔か
料理をしている背中を見てた

 

邪魔にならないように
側に居られるように必死でね
嫌われることが何より恐ろしかった。

 

母の役に立ちたくて
頭に浮かんだことをポンポン言ってたの
次はこれが必要だなって絵が浮かんできたから、頭にね。

 

ある日
母が言ったの
『変なこと言うのやめなさい』

 

嫌われたくないセンサーが振り切った
その時の空気感と母の表情
ヤバいって思った子どもなりに。

 

幼稚園に行ってた時だったかな
頭に浮かぶことは変なんだ
人に言っちゃいけないんだって
自分を悪い子なんだって思い始めた

 

兄のいじめ

小学校に入り机を買ってもらった
兄よりうんと立派な机

 

兄の机はスチールでシンプル
私のは木製で机の上にガラス戸のついた本棚があってね
合皮で茶色い、くるくる回る椅子ではなく
赤いチェックの布張りの、ソファーみたいな椅子が大好きだった。

 

ある日椅子に座って
ご機嫌で左右に揺れていたら
背中が急に濡れたの、びっくりした

 

兄が私と椅子に
放尿してた

 

色んなことがショックで処理できず
パニックで大泣き、部屋を出て母のもとへ
でも真実は伝えられない

 

母に言うと母が兄を怒る
そしてまたそれは私に帰ってくる
恐怖だった、毎日

 

小学校低学年で
階段を逆立ちするように降りろとか
屋根の上を歩けとかね

 

4学年上の男子のシュートを
4メーターしかない道路の電柱と道路標識の間で
受け取らないと罵倒され終わらない

 

言うこと聞くしかないの
怖いんだもの

 

目でいつも母を探した
助けてほしかったから

 

でも母と目が合うことはなかった
仕事をしてるか気付いてないか
兄だから仕方ないと思ってたのかわからない

 

小学校2年生までは同じ部屋で
2段ベッドで過ごしてて
3年生になって自室ができて天国だった

 

もうこれでゆっくり怯えず寝れるんだ
でも、現実はそんなに優しくなかった

 

学校での乱れ

自分を押し殺す家での時間
発散するのは学校しかなかった

 

当時学校で嫌いな子がいた
とてもかわいくて人気の女子
周りに友達もいっぱいてね

 

私の周りは男の子ばっかり
女の子が嫌だった、自分自身がそうだから

 

ある日学校に行くと
その子と私のスカートが被ってた
そう、お揃いだったのたまたま

 

凹んだ、すごい凹んだ
あの子と一緒である自分が許せなかった。

 

それで何かしなきゃって
わたしはあなたが嫌いなんだていわなきゃって

 

幼稚な頭で考えて
テレビと漫画の影響もあり
果たし状というものを書いた
要するにその子を呼び出したのね
学校の目立たない場所に。

 

朝早く学校に行ってこっそりそれを机に忍ばせ
ドキドキしながらその日の午後
その場所で待ってると…

 

大好きな担任の先生が来た
〇〇さんから話があったんだと

 

此の世が終わったかと思った
ほんとに大好きな先生に知られてしまった
絶対に許さないと連れていかれた先は会議室

 

そのことその連れの友達が
気まずそうにこっちを見てた

 

例えられない怒りに爆発しそうな自分を抑え
先生に事情を聞かれてね

 

なんでなんてわかんないんだもの
なんか嫌だったんだもの
訳わからず大泣きする私

 

家に帰って夜になり
先生が家にやってきた
店で母と話をしてる

 

居なくなりたい
そう思った

 

その後、母が一緒にお風呂に入ろうと
珍しく誘ってきた、投げやりで一緒に入ると

 

先生に聞いた話を伝えられ
母が泣いたの私の前で初めて。

 

その時自分はいけないことをしたんだと
母を悲しませるようなことをしたんだと
知ることができたのよね。

 

もう悲しませない、
誰にも自分の気持ちは出さない
そうやってどんどん殻に閉じこもっていった。

 

通学路の恐怖

バス通学をしていた私
家からバス停までの10分ほど
毎日歩いてたの、1人でね

 

なんだか見慣れない車が停まってて
横を通るとコンコンと音がした
道を聞かれるのかな?
そう思って側に行くと窓が開いた

 

中には男性が運転席に座ってて
私が見たものは男性の全裸だった

 

恐怖で震えて走って逃げた
4年生だったかな

 

それからたまに見かける車
怖くて怖くて毎日違う道を通った

 

道を変えても停まってる車
学校に行くのが嫌だった
でも、誰にも言えない。

 

私のミカタ

男性恐怖症になったのはその頃だろう
大人の男の人が怖かった
自分より大きな男性が嫌だった
許せるのは父親と親せきのおじさんだけ。

 

学校でねこっくりさんとか
怖い話がはやってて
乗っかるわけよ小学生(笑)

 

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今はアプリがあるのね

 

学校の音楽室とか地下室とか探検して
壁に浮き出たシミに叫び
帰らないこっくりさんに泣きわめき
でも、誰にも言えなかった。

 

誰にも言わなくても
不思議なことは起こってて
自室の壁に人の顔が映るとか
変な音が鳴り響くとかね
でも言えないの。

 

だから一人でよく泣いた
ベッドの布団に顔をうずめて
誰にも聞こえないように声がでないように。

 

stars

 

私の部屋は窓がとっても大きくて
星空がとってもきれいに見えてね

 

いつも空を見上げてた
星を眺めて呟いてたことがある
『星に帰りたい』

 

その時はよくわかってなかったけど
現実が辛いから逃げたいんだろうなって思ってた。

 

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どんなわたしも受け入れてくれる星空や雲
外にある自然、そして神社とお墓が私の癒し

 

何を話しても受け止めてくれるんだもの
叩いたり怒ったり睨んだりしないの
だからずっと話してた、1人で。

 

 

青春期

コンプレックス

strawberry

よく食べる子だったの
食べるとほめてくれるの大人が、母が
たべるよねー(笑)
それ以外で褒めてもらえないんだから。

 

もちろんその弊害もあって
食べたものは脂肪となり身についた
その体系が嫌いだった、見た目も全て嫌だった
自分というイレモノが大嫌いだった

 

両親が毛深くてね
小学校の頃からそれでいじられた
プールの時間に男子に言われた言葉で
また男が嫌いになったのは言うまでもなく。

 

自分が好きなとこなんてなかった
頭もよくなかったし、勉強も嫌いで
中学の学年テストは下から数えた方が早かった。

 

初めての挫折

憧れてる高校があって
頭の良くない状態で受験に挑む
自分なりに頑張ったけど気合も足りずで
自己最高得点であっても不合格

 

合格発表は母と見に行き
不合格と分かっても無表情で帰宅
部屋に帰ってから大泣き

 

そこに行くと思ってた決めてたの
だから滑り止めも受けておらず
残るは公立(居住地域指定の)高校だけ

 

あんなとこ行きたくない
合格発表から公立高校のテスト日までの2週間
全く勉強せず

 

なんとか合格したものの
行きたい区域外の高校には行けず
指定された学校へ

 

毎日泣いてたな
話が合わないんだもの。

 

私が行っていた小中は
地域の学校ではなかったので
ちょっと変わった雰囲気だった
私はそれが心地よかったんだけど。

 

全く話が分からない
なんでそれが面白いのかもわからない
同じ教室に居る事が苦しくてならなかった

 

毎日帰宅して母親の前で泣いた
行きたくない、あんなとこ嫌だと
母の前で泣くのは子供の時以来だった。

 

打ち込んだもの

そうはいっても高校をやめるわけにもいかず
部活動に熱を上げた

 

部活には先輩がいる
年上の人とは話が合った
話が通じたの

 

kizai

 

やっと自分の居場所を見つけた
地学部、そして誘われた放送局

 

天国だった
空を眺めて、星を観測し
機材を触り、音に触れる時間

 

doom

 

部活のために授業は我慢した
後ろの席の男子に意地悪をされ続けても。

 

摂食障害

やっぱりお年頃、好きな人もできてくる。
する時にいらない自分の体形

 

夏のある日、珍しく食べれなくて体重が減った
これはチャンスだと思った。

 

食べないと不機嫌になる母の
目から逃れられると。

 

坂を石が転がり落ちるように
拒食症への道まっしぐら

 

低体重過ぎて体が動かなくなり
学校へタクシーで行く
また、タクシーで病院へ

 

4か月ほど入院
大好きな母とも面会謝絶
先生を恨んだ

 

学校の出席日数があると
治療半ばで無理やり退院

 

待っていたのは過食症への転落
コントロール方法をまだわかっていなかったの

 

ガリガリからパンパンへ
春休みで一気に体型が変わった

 

当時付き合った初めての人は
毎晩22時半に電話してきてね家に
ホラーでした、母も苦笑い

 

男性不振がぬぐえず
その人を好きになり切れずお別れ
ただ会って、手を繋いで話すことが精いっぱいで
体に触れられることは全力で拒否してた。

 

受験が転機に

高校2年の時、理系を選択していたけど
物理がどうにも理解できず
3年で文系に転身

 

英語と国語を受験科目に絞り
鬼勉強した、いやーすごかった

 

study

 

行きたい学校があったの
信じられないほど偏差値を上げ
いざ推薦入試

 

試験慣れしたくて
いくつか申し込んでた推薦受験

 

会場に向かう朝
初めて電車で痴漢にあった
死んでしまいたいと思った
でも、誰にも言えない。

 

試験はボロボロ
第一志望ではないとはいえ
電車という箱が恐怖にかわった日

 

ここでも本命で自己最高を出すも不合格
一般試験まで頑張る余力がなく
受かっていた短大に決定

 

その不合格が私の人生を大きく変えたの。

 

短大・20代

1人暮らし

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家がほんとに辛くって
母も兄と一緒に居ちゃいけないって
通える距離だったけど家を出してもらった

 

自由だ―――!!!

 

ほんと叫んだ(笑)

 

遅く帰って家の前で立ってる母もおらず
夜通し遊んでも誰にも何も言われない
食べ物を残しても怒られない

 

好きなテレビで大声で笑い
大好きな歌を歌うことができた。

 

好きなタイミングで料理が作れて
好きなものを食べられる幸せ
私は安心できる場所が欲しかったのだ

 

親友との出会い

kanpai

短大で出会った友たちは
人を煩わしいと思ってた私を
心地よく過ごさせてくれる人たちで
私の存在を受け入れ認めてくれた、それは今でも。

 

彼女たちに出逢うために
私は受験に失敗したんだなと
本気で思えるくらいに大切

 

沢山アホをして
沢山笑って
沢山泣いた

 

信じられる関係

4年制大学と併設の短大だったので
サークル活動は大学と合同

 

所属したところがまたよくて
みーんなおもろい変な人(笑)
ラッキーだったと思う。

 

面倒見がよくて愛想よくて
いっぱい世話を焼いてくれてね
1人暮らしの寂しさも感じる事は無かった

 

先輩たちに遊びに連れて行ってもらい
いけないことの楽しさを知った

 

サークルの中で
1人なんか違う人が居て
ちょっと違和感に惹かれてた私

 

大人への憧れっていうのかな
4回生の彼は子供じみた私にとって
とても大きな大きな海みたいな
優しさと愛で溢れる人だと信じてた

 

4回生はたまにしか来ない
そのたまに遭遇し話せることが嬉しくて
その先輩に遊ぼうと誘われて舞い上がってた

 

知らないという罠

何も知らないというのは恐ろしいもので
ひょいひょい先輩の家についてった
美味しいよと言われ飲まされたのは
強めに割られたお酒だった

 

ぐでんぐでんになって
意識も自由もなくなって
遊ばれてしまった

 

そういうので有名だという事を知ったのは
その後だった

 

男って…
信じてみたらこれか
でも、誰にも言えなかった。

 

仲間の良さを知る

nakama

 

どんなわたしでも優しくいつも話してくれる
2個上の先輩たちがいた

 

飲みにも行って、カラオケも行き
当時はやってた屋台村にもよくいってね

 

嫌なことはすべて流されて
楽しい時間が溢れてた
ずっとこのままがいい

 

時間がとまればいいなんて思ったのも
ずっとみんなと居たいと思ったのも
初めてだった

 

人を信じる事ができた
心の底から。

 

就職活動

就職活動の不利を減らすため
実家に戻った私はまた現実に戻される
地獄のスタートだった

 

怯えながら過ごす毎日
顔を合わせないように気配を感じ
行動するタイミングを探る

 

専攻科目と違う業界に行きたかった私は
まぁ、見事に滑り倒し路頭に迷った。

 

で、じゃ学ぼうという事で
専門学校に入ることを選ぶ

 

逃げたのね、大人になるという事から
社会に出るという事から

 

その時の私には
まだその覚悟が無かった。

 

ネットの世界へ

また家を出て一人暮らし
そして専門学校に通う時
パソコンを買ってもらった

 

Apple Macintosh Pafoma6300ね

 

 

拡張性とかすごい考えて選んだ初Mac

 

インターネットって何?
そう言われていた時代に女子がパソコン珍しかった

 

Netscape-icon

 

ネットスケープというブラウザが主流で
2.0とかいうバージョン、カスだったな(笑)

 

それでもNTTのテレホーダイというサービスにつなぎ
夜通しネットを楽しむ日々

 

顔がみえない世界で
会話を楽しむのは容易だった
どんな自分にもなることができたから

 

ネットの弊害

夜だけじゃネットする時間足りなくて
昼間もネットにつなぎはじめて
母から電話がかかってきた

 

通話料が4万を超えたと
そりゃ、怒られる(笑)

 

アナログ回線だったから
普通に電話代がかかってね
それ以降はちょっとだけ注意した。

 

男だらけのネット社会で
無知な女は餌食になる

 

ネットストーカー
そういう存在も知らぬときに
パソコンの中で追い回された

 

相手はマニア、何でも調べられる
もちろん住んでいる場所もね

 

家の前で立ってたこともある
今から行くと言われて、先輩に泣きついて来てもらったことも。

 

顔が見えない背景がみえないからこそ
自分が都合いいような妄想が膨らんでいく

 

その完成されたイメージにそぐわなかった時
その日までのやさしさは、突然牙になる。
あの怖さは経験しないとわからない。

 

表向きは仲良くても
肚を探り合ってる感じ
誰もお互い信じてないのだ。

 

東京は甘くない

shibuya

専門学校でプレッシャーに負け
うつ病になり外出できなくなって
一時的に記憶が飛びながらも
私を支えてくれたのはMacとネット

 

家に戻る選択ができない状態で選んだ道は
関東に引っ越すというものだった

 

渋谷に初めて行って
テレビで見るような交差点の人の動きに
全く足が動かなくなり後退し
しばらく交番の壁にへばりついてた
東京って怖い、そう思った瞬間。

 

人だらけの東京は住めないと
横浜に住んでたの

 

そこで待っていたのは
鬱とぜんそくの摂食障害のトリプルパンチ

 

仕事もできないような状態で
かくまってもらってた。

 

生きてることが辛くて
毎日が苦しくて泣き続け
過去の不都合な記憶は消え去り記憶障害
両親のことも一時忘れた

 

死ぬことしか考えてなくて
誕生日に死ねば何もなかったことになるんじゃないか
狂った私はそう思い込み実行

 

結果はもちろん失敗
人の体はとても丈夫で
そうそう死ねないようになってると気づく
テレビドラマのようにはいかなかった

 

それでも現実は変わらない
毎日大量の薬と副作用の幻覚
生き地獄だった

 

kusuri

 

カラフルな薬は
ちっともかわいくなくって
1度の量がピルケースにもおさまりきらない

 

生きていることを感じたくて
誰かにありがとうと言われたくて
買い物依存症になる

 

実家に届く大量の請求書
全く何とも思わなかった狂ってた

 

程よくなって仕事をし
状態が悪くなり仕事をやめ
ジェットコースターみたいな日々

 

毎日上がるか下がるかわからない
朝起きるのが怖かった。

 

やっと見つけたやりがい

callcenter

就職して転職してを繰り返し
これだと思った仕事は
パソコンの技術サポート

 

あちこちのメーカーで
窓口のお姉さんをやってた。

 

パソコン雑誌を買いまくり
Macを何台も所有して
Windowsも使いこなし
オタクな人と化す

 

楽しかった
毎日パソコンをして感謝される
話の通じる仲間に囲まれ給料がもらえる

 

電話で行うこの作業
激しいストレスがかかってくる
相手は人間、みえないがゆえにヒートアップしてくる
悪くなくても謝り、理解してもらえるまで時間を費やす

 

ぜんそくの再発
受話ボタンを押すと咳が止まらない
仕事にならず引き下がることにした
せっかく自分で手に入れたものを失った。

 

それでもパソコンを使う仕事を探し
なんとか毎日を生きていた
目的も意味も分からず
ただ、淡々と。

 

 

30代

母の病気

関東で過ごしてた私に突然の電話
母からだった

 

普段なかなか連絡もせず
それが元気の証拠だとお互いに思ってて

 

耳から聞こえた言葉は
『明日手術なの、お母さん』

 

病名は乳がん

 

その場は冷静に
すぐに会社に連絡をして
翌日、急いで新幹線に飛び乗った。

 

病院の前で待つ父は
私が知ってるカッコよくたくましい父ではなく
ちょっと痩せて、髪が薄くなっていた。

 

病室につくと手術は終わってて
母に仕事は大丈夫かと心配され
母親ってなんでこんなにと涙が止まらなかった。

 

その後の治療が大変なことを知っていたので
(当時は術後のがん治療の副作用が激しかった)
実家に帰るとその場で決めた。

 

それを聞いて出た母の言葉は
『お母さんはまたみんなを繋ぐために病気になったんかな―』

 

命を懸けて家族という形を
絆を教えようとしてくれている母に
頭が上がらなくなった。

 

20代30代の詳しい話はこちら

裏マイストーリー ~演じる人生~

2017.01.17

 

実家での暮らし

ぎこちない日々の中
それでもついた仕事先で
運命の出会いがあった

 

最初は印象悪くて
なんだこいつ?って感じ(笑)
それが今の旦那さま、わからんもんよね。

 

初めて自分からデートに誘った
それほどまでにして相手のことが知りたかった
一緒に見に行った映画はパイレーツオブカリビアンとMI:2

 

映画館に一人で行くのが怖いからと誘ったんだよね
そんなこと人に話したことも無かったのに。

 

合う回数が増え全く違う環境で育った同じ年は
ずっと前から知っていたかのように
ずっとそばにいたかのように
自然に付き合い共に過ごす

 

1人でいるより快適で心地よい人は初めて
一緒に居るだけで幸せを感じた

 

お互いに求める分量が同じ
タイミングも笑のツボも同じ
当然のように結婚を選んだ

 

結婚

chaperu

結婚して二人で過ごす難しさに
あゆみよって話し合ったことで
大きなトラブルもケンカも無く
義両親にも可愛がられて恵まれて

 

そろそろ子どもをと思ったときに
私の脳裏に浮かんだのが
十代の摂食障害

 

成長期に体を痛めつけたので
万年生理不順で妊娠に向かない身体

 

どうやって詫びればいいだろう
子供が欲しい気持ちと反比例して増していく
自分を責める気持を彼はしっかり受け止めてくれた。

 

不妊治療

そして選んだ不妊治療
きつかったけど通院5カ月で妊娠

 

無事に育っているんだろうかと
日々不安の状態でいた私
胎教に悪ーい(笑)

 

母や主人についてきてもらい
大きく育つ我が子がたまらなく嬉しかった

nishin

 

出産

逆子だという事がわかってたので
帝王切開が決定してた

 

へその緒が首に2回巻いてたから
動けなかったらしい。

 

陣痛も出産の苦しみも感じず
麻酔を打って出産して一瞬見た我が子は
保育室に連れていかれ、私は術後の部屋で24時間

 

今までお腹の中に居た我が子を
奪い取られたような喪失感

 

むくみと血栓防止のために
足のエアポンプの音が鳴り響く部屋
気が狂いそうだった

 

何度も主人を罵声でおこし
機械を外してくれと暴れた

 

そんな母の思いもよそに
娘はすくすく育ち2歳になって
そろそろ兄弟が欲しいねとなって
再び治療に向き合うことに

 

流産

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やっと出た妊娠検査薬のピンクのライン
飛び上がって喜んだ

 

病院に行っても先生の反応がおかしい
おめでとうございますって言われない

 

様子をみましょうと言われて帰宅後
ゼリー状の赤い塊がボロボロでてきた

 

トイレで叫んでも一人だった
娘は昼寝の最中

 

変な出血に嫌な予感が走る
急いで主人に電話し病院へ

 

エコーを見ると胎嚢はあった(赤ちゃんの入る袋)
でも袋しか見えない、でも妊娠反応は陽性

 

止血剤を貰い帰宅して
変わらぬ状況に何も手につかず
ずっと泣き続けてた

 

翌日、主人が会社に行って
トイレに行ったとき

 

なぜかボロボロ出てくる塊を
掌の上にとった、その時

 

変な形のものがあった
袋状でぺちゃんこで紐がついてる

 

すぐにわかった、胎嚢だった。
掌の上でもうお腹にはないんだと
この子が育つことはないんだと
流産してしまったんだと

 

我が子の端っこに触れてる手が恐ろしくなった
通常触ることのないものが今ここにある

 

どんな思いでここまで育ったんだろう
感情もまだない胎嚢に涙があふれた

 

そして部屋に戻って娘のこともほったらかして
大声で泣いた、叫んだ、声が枯れるまで。

 

少し落ち着いてから主人に電話
病院へ行ってエコーを見ると
ないの、なにも。

 

へらへらした先生は
あー、無くなったねー
初期の流産、よくあることね
この時期だと後処理もいらないから
引き続き止血剤出しとくね

 

初めて殺意を覚えた
これは主人にも言えなかった。

 

双子ママになる

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治療は上手くいかず、転院を繰り返してもダメで
精神的に限界で、治療をやめた数か月後
奇跡の自然妊娠、おまけに双子

 

なんと一気に3人の母に
心の準備がとか言ってる暇はなかった(笑)

 

息子たちが産まれホームケアを増やしたいと
以前より興味のあったレイキを伝授してもらうことに。

 

蓋があいたらすごかった

レイキの伝授で自分に蓋をしていた
不思議なことに対する抑圧が
ぼっこーんと外れたの

 

エネルギーとかすごい分かるし
宇宙の話も違和感がない

 

オラクルカードも話しかけてくる
空も山も物までも、いろんな声が聞こえてきた。

 

レイキのすばらしさに感動し
何故か選んだ起業という道

 

前に出たいと思ったのだ、初めて

 

スピリチュアル

自分がわからない

とはいうものの、自分がどこまで何できるのか
ちっともさっぱりわからない。

 

やれば何でもできちゃう自分に
自分自身が翻弄

 

扱えるエネルギー量も無限大
自分が何者なのか迷宮入り

 

地球人の皮をかぶった人間

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不思議がもれすぎて、人っぽくなくなっていると
当時見てもらった人に言われても
全くピンとこなかった。

 

ただ、地球人といわれるより
宇宙人であるという自覚はあって
空に帰りたいと思ってた子供の記憶が
頭の中に再生されて納得。

 

何がしたいのか何ができるのか
何を求められているのかを模索する日々

 

セミナーにも通い講座も受けて
彷徨う期間が続く。

 

龍との出会い

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突然連れ帰ってしまった子龍
後ろの人の言葉や意識がわかると気づいた瞬間

 

きっとね喋ってたんだよきずかずに
ずっと聞こえてたんだろうけど無意識だった

 

龍にご縁のある人と一気に繋がり
不思議な人として認識されはじめ

 

また自分の方向性を失っていくことに。

 

わたしはワタシ

何かになろうとしなくていい

私に起きている現実が真実
それが事実

 

何度も言われて頭ではわかってても
肚に落ちるまで時間がかかった

 

スピリチュアルは大嫌いだと思ってた自分は
スピの人で不思議な能力を持っていて
言語化もできるし直感も優れてる

 

それを受け入れてから、ずいぶん楽になった。
地球での日々の暮らしが。

 

新たな龍とのご縁

022987

子龍と離れ、新たなご縁の黒龍さん
それがいまずっとそばにいてくれる黒先輩

 

彼と一緒にヒーリングを始め
よりみえない世界の言葉が鮮明に受け取れ
扱えるエネルギー量が爆発的に広がった

 

ある日黒先輩に呼ばれて座ると
神様がズラーっと並んでて
お話があったの

 

こちらの言葉をそちらに伝えてくれないかと

 

断れる状況でもなく受け入れ
覚悟するのに1ヵ月

 

今までのすべてを一度手放し
巫女的翻訳家として再スタート

 

それが現在になります。

 

あとがき

ここまで文章で書いたのも
自分の中から外に公にしたのも初めてだけど
今だからできたんだと思うし、タイミングが来たんだと思います。

 

今では兄との確執は子供たちが溶かしてくれて
とても良い関係になってます。
両親との関係も子供たちが
上手いことつなげなおしてくれました。

 

私たち夫婦を選んでくれた子供たちがいて
全力で支えてくれる主人がいて
愛してくれる両親がいて

 

みえないところでずっと守り支え
応援してもらえてたから
今のわたしが存在してて

 

宇宙人と逃げるわけでもなく
いま地球上に人間として生まれた
私の人生を楽しむことができてます。

 

kaorugig

 

過去を知ってもらうことが
誰かの何かの役に立てればいいなと
そう思ってます。

 

長い長いお話に
お付き合いいただけて嬉しいです、ありがとうございます
どうぞこれからもよろしくね(´▽`)

 

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あなたに読んでもらえたら嬉しいです♡

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宇宙系巫女、坪内薫です。みえない世界に関わり悩んでいる人が本来の使命に気付き本質で生きていけるようになるための案内を宇宙と神様に繋がり、カードを使ったメッセージやヒーリングでサポートしています。趣味はドライブ、旅行、パン作りとおしゃべりと妄想。プライベートではB'zとダウンタウンが大好きな主人、7歳の娘と3歳の双子の息子とにぎやかに京都で暮らしています。http://moji-majyo.com/