正しい御朱印の集め方・保管方法
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正しい御朱印の集め方・保管方法
お気に入りのアーティストのCDは2枚買い、坪内薫です。
聴く用のCDと飾るCDって2枚買いしてました(笑)
昔の話ですけどね~
好きなものを集めるって
楽しいですよね♪
私が集めているものの一つに
御朱印というものがあります。
御朱印の楽しみ方を
改めてまとめてみまーす!
御朱印とは
朱印(しゅいん)は、主に神社や寺院において、
主に参拝者向けに押印される印章、
およびその印影である。
敬称として御朱印(ごしゅいん)とも呼ばれる[1]。
「記念スタンプ」とは違い、
寺社の職員や僧侶、神職、氏子などが押印する。
単に印を押すだけでなく、その下に墨書で
寺社名や参拝日などが書かれることが多く、
その墨書も含めて「朱印」と呼ばれる。
(ウィキペディアより)
最近私がもらった御朱印コレクション♪


こんな感じで書いていただけます。
ちなみに私の御朱印帳

人気のヒミツ
- 参拝記念になる
- 参拝記録帳として楽しめる
- オリジナルのお守りになる
これに尽きると思います。
見た目も美しく
いただく先で雰囲気が異なるので
(よく読めなくても)目で楽しめます。
印刷ではなく
筆を入れてもらうって
特別の意味があってパワーも強い
携帯できるお札だと
私は思ってます。
お寺と神社、御朱印帳は分けるべき?
調べてみると気になる人は多いみたい。
色々読み漁ったのと私の経験上では…
分けたかったら分ければいいし
一緒がよければそれでOK
一緒にしている場合は
断られることもあるという事を
覚えておいた方がいい
リスクを減らすのであれば
お寺と神社の御朱印帳を
分けておく方が賢明
それぞれに考えもあるし
歴史的な背景も踏まえて
絶対というのはないらしい。
分ける事でスッキリするのか
一緒になってても時系列を重視したいのか
個人の考えだと思ってます。
ちなみに、私は後者。
順番に見返して、いつどこに行ったを
ページの順で振り返りたいので。
今まで断られたことはないけど
もし断られたら、諦めるかな。
分けて2冊持つ方が
私には合わないスタイルだから。
その辺は潔く引きます。
注意事項
◇もらう時
- 参拝を済ませてから御朱印を
- 書いてもらうページを開いておく
- 複数の御朱印がある場合は指定する
- お願いするときは丁寧に
- 待っている間は静粛に
- 小銭を用意しておく
- 感謝して受け取る
- 心を込めてお礼を申し上げる
自分の帳面に書いていただく
お札ですから、とーってもありがたいもの
スタンプラリーじゃないんだから
お金払ってもらえて当然ではなくて
書いてくださる方が快く
集中して作業できるようにしたいよね。
◇保存・持ち歩き時
何回も書いてますけどお札と同じなので
整った場所、高いところで保管しましょ。
持ちあるくときは
痛まないように袋やカバーに入れて
カバンの中に入れるのがベスト。
ちなみに私の御朱印帳を入れてる袋は
出雲大神宮で購入したこちら

使用感アリアリですが(笑)
袋の内側にお守りが入ってて
御朱印帳をしっかり守ってくれます。
金糸で龍の刺繍が入ってるのも
猛烈にお気に入り♡

紐に鈴がついてるので
魔除け効果があると思われます。
こんな意見も
朱印をしない理由
そんなに古い歴史をもつわけではありませんが、
参拝した記念に朱印を押してくれるところが数多くあります。
寺の名前や仏教の言葉などが添えられる場合もあります。
回ったお寺の数だけ朱印が増えていくことは
楽しみでありましょう。
また、八十八箇所とか三十三所というように
決められた場所をすべて回ったときには、
何らかの達成感があることもわかります。
でも、ちょっと待ってください。
お寺とは朱印を集めるために
お参りするところなのでしょうか。
それならば、一度朱印をもらえば、
二度とお参りすることはないでしょう。
大事なのはお参りしたことがあるかどうか
ではなくて、お参りして教えに出遇(あ)ったかどうかです。
また、どんな教えに出遇ったかということであるはずです。
浄土真宗の宗祖である親鸞聖人は、
師の法然上人との出遇いをとおして、
生涯を「ただ念仏」の教えに生きられた方です。
それは念仏を称える時、どんな者も
決して見捨てることのない仏の世界が、
いつでも憶い出されてくるからでした。
逆の言い方をすれば、貪(むさぼ)りや
憎しみの心に翻弄(ほんろう)されて、
何が大切であるかをすぐに見失っていく
自分であることをよく知っておられたからでした。
私たちはどうでしょうか。
一度お参りしたから大丈夫とか、
教えはこの前に聞いたからもう聞かなくてもいい、
などといえるでしょうか。
さまざまな問題が次々と起こってくる状況の中で、
何を本当の拠(よ)りどころとして生きていくかが、
いよいよ問われてきているのが現代です。
お寺を回ったというような
達成感に腰を落ち着けてしまうのではなく、
教えを聞き続けようと立ち上がる必要があるのではないでしょうか。
一楽 真 大谷大学教授
出典元:東本願寺公式HP
身が引き締まりました
これを読ませていただいて。
ほんとおっしゃる通りだと
御朱印をもらえばその場所を
コンプリートしたわけではないという事
達成感や自己満足が
本来の目的から外れすぎてはいけないなと
今後気を引き締めて、御朱印をいただこうと思います。
まとめ
訪問し、参拝する
気付きをいただくという
本来の目的を忘れずに
御朱印をいただくという
楽しみを持ちつつ
神さまや仏様を
身近に感じていけたらいいよね。
守ってくれる存在がいる
ご先祖様や神様がついてる
と言われても、みえないから目で。
参拝し御朱印をいただくことで
自分から向き合いメッセージをいただく
機会として日常に取り入れていくことで
より良い日常を
より良い自分で生きていける
そういう事じゃないでしょうか。
集める楽しみがあってもいい
眺める楽しみがあってもいい
参拝する喜びがあってもいい
何のためにご朱印をいただくのか
自分の中で確認しとくといいですよ。
御朱印(お札)の効果を
損なわないためにも、是非。