坪内 薫(かおるーん)

- Kaoru Tsubouchi -

  • 1975年7月生まれ、蟹座、B型、卯年、数秘33
  • 京都市出身京都市在住
  • 好きなものは新幹線とドクターイエロー、貨物列車、観光電車、最推しは500系新幹線
  • 趣味は旅行と美味探訪、歴史的建造物探索、寺社仏閣巡り、美術館巡り、ピクミン、FF11
  • 着物は自分らしさを表現する衣装、日々も仕事も着物です
  • 面白い、かっこいい、美しいが正義
  • 旦那さんと中二になる娘と小五になる一卵性双生児の男児の5人家族
  • 秘書検定2級、簿記3級、AUTO -CAD技能検定3級、カラーコーディネーター3級、チャイルドカウンセラー、きもの文化検定3級資格保有
  • 西洋レイキティーチャー、エンジェルカラーカード認定講師
  • ペライチサポーター

愛読書はマイバースデイ
鏡リュウジ先生を敬愛する小学生

私はもともと見えないものがわかり、見えないものに気付き付き、霊能体質で生まれました。周りに霊感も違いなかったので、家族にも理解されず、母親に幼少期に不気味がられて人前に出すのはやめようと封印しました。

誰にも理解されない、周りの人との感覚の違いで、子供の頃から人間関係に悩み、無理をして自分を崩し、家に帰って部屋に入って布団に顔を埋めて泣き叫ぶ日々が続きました。

そんな私を当時救ってくれたのはマイバースデイという占い雑誌でした。そこには誰もわかってくれないと思っていた感覚が文字として表現されている素晴らしい世界が広がり、見えない不思議なことに対して興味が爆増します。

小学校の図書室にあった「悪魔くん」という本を借り、部屋の床に魔法陣を描き、どうすれば自分が生きやすくなるのかを妄想しながら、材料として書かれている”トカゲのしっぽ”や”羊の血”を用意するのかを悩んでいました。インターネットがなかった頃なので調べる方法もわからず、ひたすら魔法陣を描いて自分を満足させていました。

私が心許せる瞬間はマイバースデイや悪魔くんを見る以外に、空を眺めている時でした。

空と話すというと奇人だとおもわれるでしょうが、私が自分の思うままの言葉や想いを届けられる唯一の相手であり、許された場所でした。

年齢が上がるごとに人付き合いは苦痛となり、いじめにも遭い、犯人にも仕立てられ、どんどん私の性根は腐っていきました。兄からのキツイ仕打ちに生きている意味はなんだろうと、自分の体を棒で叩いて「おしおき」をすることで、今生きていることを自分で許してもらえるように罰していました。

なにぶん勉強が苦手だったので受験勉強で失敗し、失意溢れていった高校で幻滅しかなく、泣き続ける日は続きます。

コンタクトをしているのに伊達メガネをかけ、誰にも自分の内側を見られないように必死で隠していました。

部活動や先輩には恵まれましたが、同級生からの嫌がらせや自身にずっとあった体型コンプレックスから摂食障害となり、体重は168センチで40キロにまで落ち、歩くことができなくなってしまい入院。

何もかもがうまくいかない、そんな時代でした。なんとか退院したものの、過食症となり体重は激増、本能の恐ろしさを思い知ります。

体がうまく動かないと現実もうまくいかず、希望大学には落ち、散々な高校時代でした。

占いの館のおばちゃんが
私の命の恩人

人間関係に悩んでばかりだった私は、占いの館ブームの中、一人のおばちゃんに出会いました。そのおばちゃんをリピートし続け、何度も何度も占ってもらって自分を保とうとしていました。

何度も通う私におばちゃんは

「若いうちはしんどいことが続くけど、歳がいったらうまいこと行く、大器晩成やさかい、それまでがんばり!」

そう10代半ばの私にいったのです。

単純でアホだった私は、「歳をとったら楽になるんだ、うまく行く日がくるんだ!」と喜びで溢れたことを鮮明に覚えています。

そしてそのおばちゃんのところに行ったのは、その時が最後になりました。

その後もしんどいことは何度も何度も起こりましたが、私はおばちゃんがいってくれた言葉を信じて生き続けることができました。

何度命を経とうとしました、記憶も無くなり、何度も搬送されましたが、あちらに行くことはできなかったんです。「人の体って簡単に死なへんにゃな」という実体験をしてやっと、「死にたい」という意識がなくなりました。だってどれだけ傷つけても薬を飲んでも、うまくいかないんですもの。

そうして私は生きるための行動に尽力することになります。

初めて自分の場所と
自分を否定しない相手ができて
人生が180度変わった

ずっと自分の落ち着ける場所が欲しい、ずっと安心できる場所が欲しい、自分を受け入れてくれる人が欲しいと思い続けて30年以上生きて、今の主人と出会うことができました。

彼に出会ってからの私は水を得た魚のように人間らしく私らしく生きることができるようになり、何かをしたいという欲求が生まれ始めます。

霊感など全くない主人ですが、何を否定することもなく、何に偏ることもなく私という人間を機嫌良く過ごすために一生懸命になってくれる環境が私はとてもありがたく、人間を頑張ろうと思えたのです。

スピリチュアル的に地に足がついた一歩目とも言えるかもしれません。

治療をしてやっと恵まれた娘が増えて、人生がより豊かになると思っていたら、育児ノイローゼになりヒステリーで毎日気がおかしくなりそうでした。社会と断絶され、家の中で娘とだけ過ごす日々。泣いてもいないのにずっと泣き声が聞こえる幻想やに襲われ、自分のことに構うゆとりなどないまま、世の中の流れに合わせママ友を作ろうと外に出て、また人間関係で疲弊し心を壊します。

「そんなに嫌ならいかんでいい!」そう言い切ってくれた主人の言葉で、誰のために何をしようとしていたのかという部分の歪みに気づき、自分らしい生活を取り戻していきます。

そんな中、また治療をして第二子を迎えられたと思った途端の流産、出血が止まらず胎嚢が流れ落ち、それを触った私は狂乱し落ち込みましたが主人と娘によって支えられ、再び妊娠した時に双子だと判明。

子供が一気に3人になるということは、健康リスクが増えるぞと何か身につけないとと即座に思ったのです。

霊能体質ではありましたが、正しいエネルギーコントロールを習ったことはなかったので西洋冷気を学び講師クラスまで受講し、息子たちの1歳の誕生日に私の初めての手当をプレゼントしました。

家族や周りの人に喜ばれ、自分が役に立てることをしていきたいと思った時、ずっと好きだったカード占いを学び、友人で実践させていただき起業を決めました。

すんなりオッケーをしてくれると思ってた主人に、人生で初めて反対されましたが、結局私の想いを尊重してもらい事業をスタート。占いとヒーリングを組み合わせたビジネスをスタートさせます。

当時は起業女子ブームで様々な起業塾が氾濫しており、漏れず私もとある塾に参加しました。ですが、塾の講師内を巡って巡ってという洗濯機のような状態で、結局何も自分のものにはできず、疲弊し脱落。自分らしさに反したやり方は続かないという学びだったと割り切り、インターネットでの集客とビジネスを行っていきました。

ご縁には恵まれていましたので、紹介やリピーターさんのおかげでビジネスはうまくいき、霊能業界の権威クラスの方に褒めていただけるサービスと霊能力があると太鼓判をいただけるまでに。

これで私は今までお世話になってきた分、頑張っていこうと仕事を続けていたのですが、一つの壁にぶつかりました。

それ前も聞いてたよね?
どうして行動しなかったんだろう

相談件数が増えていくと、リピートしていただく方も増えていきました。

そうする時になる質問が増えてきたのです。前にもそれ同じことおっしゃってたな、頑張るっておっしゃったのにな、キラキラ輝く素敵な笑顔で変えられたのにな。おかしいな。。

私の伝え方が良くなかったのかと、都度最善を尽くしましたが、戻って来られる女性がいました。おかしいな、どうして動かない選択をしてしまうんだろう、変わろうという部分にブレーキを踏んでしまうんだろう、私の伝え方は問題がないはずなのに、まだ何かできることがあるんだろうかと。

変わりたいと来られるのに変われない、行動できない方のために私ができることを増やさないとと、エネルギーワークの質を高め、新たな取り組みも試しました。でも、変わらなかったんです、何も。

ぱたっとその方は来なくなり、言い方が見つかったのかな、それとも行動されたのかなと、確認することができずモヤモヤした後悔に似たものが残ってしまった時に「体が変わらないと人は本当の変化を起こせないんだ」という気づきをのちの師匠にいただきました。

そこで私は気づいたんです、私は占いをするということに頑張りたかったのではなく、人が変化するための応援をしていきたいという思いが一番強かったということに。

師匠からいただいた気づきから、私は占いという場所から、体に触れる体を変えていくという場所に移動しました。自分を変えてくれた占いに使命を感じていたのですが、私の思いはそこではなかったのです。

体と関わり続けてわかったこと
現代人の社会問題

ありがたいことに、たくさんの方の体と人生に関わらせていただくことができています。私のところに来てくださる方、ご自身の体に向き合える状態の方というのは、ごく一部なんです。

我が子が思春期の問題で悩んでいても、話せる状態になかなかなれない、体に触れることさえできない状態となり、人のしんどさは安易に表現できる状態ではないんだと。

体が変われば人は変われるという部分は事実ですが、体を変える、体に向き合うということは自分自身や人生に向き合うことであり、現実を受け止めるということとイコールです。

先進国の中で若者の死亡率がナンバーワンの国はどこかご存知でしょうか?この質問を問う時点でお分かりかもしれませんが、日本がナンバーワンなんです。全く嬉しくない一番です。

しんどさや辛さを表現する場所や環境、相手がいないことで抱え込めなくなり命を経ってしまうまだまだこれから生きることができた若者が多くいる現状に強く胸を痛めています。

私自身子供が3人います、皆とても繊細で傷つきやすく安心して今世に放てるかというと、この厳しい社会に羽ばたかせることに不安しかありません。

となったとき、私にできることはしんどい時にしんどいと、辛い時に辛いと言葉にできる場所を増やすことです。占いというのは明るい日向でも暗い闇でもない、程よい明るさと湿度があるから人は惹かれるのです。

そこに縋り、頼りたくなるんです、今この瞬間を信じる言葉をもらうために。

当時の私がそうだったように、拠り所があるから人は頑張ることができるんだということを現実化している私だからこそその重要性がわかります。

でも私が占い師に戻ったとしても、私一人でサポートできる人の数は限られています。そう思った時に、健全に相談者をサポートできる占い師が増えると救われる人はどんどん増えていくというイメージが広がりました。

占いができたら
占い師になれるわけじゃない

何されてるんですか?と聞いた時に「占い師です」と返せる人はどれぐらいいると思いますか?「あ、ちょっと、占いとかそういうのを少しやってたりします」というような返答がとても多いんです。

その理由は社会的地位が低い、偏見が大きいがゆえに「怪しい」「胡散臭い」「何か売りつけられるんじゃないか」「依存させられるんじゃないか」と思われたくないが故の、初世のためにそのように回避されているんです。傷つきたい人なんていませんから、当然と言えば当然です。

でも、本当の理由はそこじゃないんです。

占いができるから、占いを習ったから、占いで稼ぎたいから、占い師になった方がほとんどです。占いに限らず、教わったからうまくビジネスとして展開できる、お客様に喜ばれる・支持される事業なんてありません。

人とのコミュニケーション、深い部分の悩みや人生に関わるためやり方や、距離感の取り方、言語化、伝え方、引き出し方、まとめ方、広げ方、伸ばし方、売り方、オリジナリティの出し方、、、上げ出したらきりがないほどビジネスとして展開していくためには必要なことがたくさんあります。

なので相談者に寄り添い適切なサポートをしていくことができる基礎構築とコミュニケーションを、占いの知識技術だけでなく、体に関わり続けてわかった情報を含めてお伝えしていくサポートを行うことにしました。

誰にでもそれをやればできるという再現性を出していくために、個別の相談を丁寧に行い、どの角度、どの切り口、どの温度感、どの色味で進めていけばいいのか適切なアドバイスを提案していく形で進めるので、占い技術に自信がなくても問題なくビジネスとして展開していけます。

占い師、スピリチュアル業界に最も不足している言語化という部分を徹底してサポートして、理解される表現方法や導き方を提案します。

霊能体質でありながら、言語化、表現力、コンバート(変換)力は男性経営者・起業家の方に多く評価される実績があります。

占いの技術は教えません、大切なのはそこではないですから。ただお持ちのスキルを上手に活かすための底上げを行うことで新たな技術を取り込むことなく展開が可能なので新たな学びに散財する必要がありません。

どんどん学びを増やせば増やすほど不安になるのです、できない自分に気づくから、どうしていいかわからなくなるのです。

今ある技術の活かし方がわかり、展開方法がわかると、確実に相談者の数は増え、評価は高まり、求められる占い師として発展させていくことができます。

たくさんできることが占い師としての凄さではありません、あくまでも相談者の変化のために適切な言葉を紡ぎ出せるのが占い師の凄さです。

占い師という素晴らしい領域を健康的にビジネスにしていくための、在り方と基礎構築を身につけると、自分らしい表現で社会貢献できる未来がひろがります。イメージしてください、とても素敵じゃないですか?あなたが求めているものではないでしょうか。

占い師の言葉がわかる、占い師ではない場所からの言葉を信じてください。

伝えられなくても理解してもらえる心地よさ、あじわってみませんか?まず聞いてください、いつでも待ってます。

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